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花蓮・松園別館と"聽說松園白蝴蝶回來過"

豊年節から一夜明けて真っ青な空。丘の上にある”松園別館"は長閑、百年琉球松が芝生に木陰をつくっています。きらきらと輝く太平洋が展望できます。ここは、太平洋戦争中は、日本軍の軍務署であり、台湾籍日本兵募集もされていました。特攻出征前には、最後の盃も交わされたところです。今は何人かの観光客がゆったりと朝の気持ち良い空気の中の庭園を散歩していました。


階段の上に”聽說松園白蝴蝶回來過(白い蝶々が戻ってきました)”という伝えが掲げられていました。それを読むと、その深い悲しみの上に立つ、今の平和に感謝します。日本から遥か南の太平洋に面した台湾の地でも戦争は人々の暮らしに大きな影響を与えていました。(つたないですが以下、翻訳します)。別館の横にある防空壕は、その頃を偲ばせます。

聽說松園白蝴蝶回來過


第二次世界大戰,前線戰情緊繃,許多日本與其殖民地例如台灣與朝鮮等地,皆有年輕人紛紛響應號招加入了"神風特攻隊"。學會了飛行卻沒有學會降落,又被稱為"白蝴蝶"。白蝴蝶,是自由不拘,翩躚飛舞的,遠看,又像暮春時節,櫻花別理枝頭,凋零飄落前輕旋起舞的模樣:又似嚴冬之際,鵝絨般的雪片飄飄悠悠地在風中迆邐了一條長街,才真正落地。


在離家前夕深夜,房門半開,那年輕人背對著母親,收拾著少得可憐的行李,原本已經收好的照片又被他拿了出來放回桌上,夜裡退去為國為民的激動熱血,竟有一股悲愴湧上心頭,還是把合照留下來給母親做個念想吧,他想著。

背過微弱的黃光,母親站在一旁看著,他摀著嘴流淚,試圖將分離的悲鳴嚥下,她伸手撫摸過年輕人的眉眼,輕輕柔柔的深怕會傷了他一分一毫,"如果今生不能再見面,無論如何你都要化作一雙白蝴蝶飛回家,讓媽媽見最後一次面。"語畢後她又接著泣不成聲,年輕人的左胸膛一片濕熱。


隨著日子一天天推進,是那天了,他穿上一身簡便的服飾,卻有幾分莊重,飛機起飛的那刻,他空白的腦袋浮現了一雙濕潤的雙眸,和小時候睡覺前的輕哄聲,淚水止不住的溢出了眼眶模糊了視線,在失重前不敢忘記來自母親的叮囑。

媽媽現在我要回去了。


1945年6月7日,最後一架特攻機隊起飛後,結束神風特攻隊在台灣的悲劇性歷史,歷史的軌跡還留著他們短暫生命的身影,願渴望和平的人都不用顛簸,願心繫家鄉的人都不用出走。


白い蝶々が松園に戻ってきました


第二次世界大戦では、戦線が緊迫していたため、日本や台湾・韓国などの植民地から多くの若者が「神風特攻隊」に応じて参加しました。

飛ぶことは学んでも、着陸は学ばず、「白い蝶々」とも呼ばれていました。

白い蝶々は、遠くから見ると、自由に踊る様に舞い、あたかも晩春の桜の花がやがて色あせて散っていく前にひらひらと舞うように、あるいは、厳冬期に降り積もった雪が、風に吹かれゆったりと舞い落ちていくように。


出征前夜、扉が半分開いまま、青年は母親に背を向けてわずかな荷物をまとめていました。彼は、すでにしまってあった写真を取り出し、机の上に戻しました。夜が更けるにつれ、彼の国と人々に対する情熱は後退し、寂しさの波が押し寄せてきました。この写真を母への形見として残そう、と彼は思いました。

淡い黄色の光を背にして、母は、その逞しい背中をそばで見守っていました。口を押えて涙をこらえようと、必死で別れの辛さを飲み込もうとしているようでした。母は、彼を傷つけてしまうのではないかというようにそっと手を伸ばして彼の眉に柔らかく触れました。"もしこの世で再び会うことができなければ、白い蝶々となって家に戻っておいで。母に最後の姿を見せてください。” 話を終えた後、母はまた泣き崩れてしまいました。若者の左胸は熱く濡れていました。


日が経ち、その日になりました。彼は質素ながらも凛とした装いを身にまといました。飛行機が離陸した瞬間、真っ白な心に母の潤んだ瞳が浮かびました。彼の幼少期の眠りを誘う母の優しいささやき声。目から涙が溢れだし、視界がぼやけます。無重力になる前に、母への約束を忘れません。母さん、僕はもう帰るよ。


1945年6月7日、最後の特攻機が離陸し、台湾における神風特攻隊の悲劇的な歴史に終止符が打たれました。彼らの短い人生の痕跡は、歴史の痕跡として残っています。平和を切望するすべての人々が、このような混乱を免れますように。故郷を思う人が遠くに旅をしなくてもいいように。


(cam)





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