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「能高百年回顧展」花蓮・復興街 21/11/20

小雨が降り始める中、知り合いの茶店に行く途中、復興街を歩いていたら、日本風家屋で「能高百年回顧展」と書かれた看板がありました。何となく関心を持ち、ふと中に思い入ると、KANOと同様に、日本統治時代の1921年(大正10年)にアミ族中心の能高野球部が発足し、25年(大正14年)には訪日し各地で試合を行い、活躍したそうです。


KANO(嘉義農林学校)が甲子園で活躍したのは、1931年(昭和6年)夏。それよりも少し早い時期。

偶然に立ち寄ったのですが、台湾との歴史をもっと知らなくてはと思いました。

案内係の叔母さんが、時折日本語を混ぜながら、丁寧に案内してくれました。


旅から戻った後、色々調べると、ジャーナリストで大東文化大学特任教授の野嶋 剛さんが書いた”「野球と棒球」―白球がつなぐ日台百年史”に大変詳しく、その歴史がまとめられていました。平安高校が甲子園の強豪校というのは知っていましたが、そのチームを支えた主力選手の何人かが、能高出身の台湾の選手とは知りませんでした。


台湾花蓮の街で出会った彼らの写真は、政治を超えて、スポーツに全力で取り組んだその熱い時を感じさせてくれます。 (Cam)


参考文献:大東文化大学特任教授 野嶋 剛「野球と棒球」――白球がつなぐ日台百年史”








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